祭好きがいっぱい集まる、おでん屋さんのオヤジ。井上晃さんは、どこの町にもひとりはいそうな根っからの祭好き。 北条節句祭のスピリッツを後世に伝える語り部でした。祭に対する愛情や感性がにじみ出ていて、思うことがいっしょで、わたしらの大好きな、気のいいおっさんでした。

「すぐわかる北条節句祭」へ

井上晃さん
「北条節句祭」でネット検索すると当社の役員紹介ページがけっこう上位に出てくるために、 祭が近づくとそこだけPV数が急増する現象が何年も続いていたのですが、 せっかく開いてもらったのに何も情報を載せてないのが申し訳ないので、こんなページを作ってみました。 少しでも祭見物のお役に立てれば幸いです。

笹屋さんの想い出

わたしが自分で発行していたミニコミ誌に載せるために、笹屋の井上晃さんにインタビューしたのは1994年(平成6年)。 それまで何年も落ち込んで元気のなかった北条節句祭が、ようやく逆襲に転ずるきっかけになった年です。そのときの原稿を、23年ぶりに掘り起こしてここに再現することにしました。
 井上晃さんはもうお亡くなりになりましたが、天国のほうで相変わらずええ調子にされてます。 わたしと晃さんは特別な方法で交信できますので、証明はできませんがちゃんと許可はいただきました。 おっちゃんが伝えたかったことは、いまもぜんぜん変わってないみたいですしね。
井上晃さんのこと
笹屋さんっていうのは、北条の駅前町にある、おでん、たこ焼き、うどんのお店。 井上晃(いのうえあきら)さんは、そこの店主です。
 祭好きで有名なおっちゃんで、お店の壁には祭のポスターやらカレンダーがびっしり。 播州一円から祭好きたちが集まってきては、わいわいと祭談義に花を咲かせることがよくありました。 わたしもしょっちゅう名物のホルモンうどんを食べに行ったもんです。
 晃さんは、2006年(平成18年)3月、あの世へ旅立たれたのですが、 その年の節句祭は異例ずくめ、深く記憶に刻まれた祭となりました。
 というのも、またしても本宮が雨にたたられ、屋台奉納が中止と決定したからです。 その日は朝から雨模様。どこで中止になってもおかしくありませんでした。 御旅所入りのときには一時的にやんだのですが、足下はジュルジュルの水たまりだらけ。そして龍王の舞の最中に、また突如バラバラと、まさに春の嵐という勢いで雨足が強まりました。 こうなったらもう万事休す。やはり中止の決定が下され、そこで祭は終わったかに思えました。
 ところが、横尾、栗田、南町、本町、御旅町、古坂の6町が、雨でもとにかく本社入りすることを決め、ずぶぬれになりながらも住吉神社に向かい始めたのです。 一部の町だけ、こんな勝手な行動をすることが許されるなどということは、節句祭ではまずありえません。 きっと、晃さんが天国から活を入れてくれたんでしょう。
 御旅町の前に本町、後から古坂という、宮入りの順番も異例なら、まだ日が沈まない明るいうちから龍王の舞や鶏合わせが行われるという前代未聞の光景。 そのころには天候も回復。屋台を片づけてしまった他の町からは、うらめしそうな声が漏れてましたが、 それがかえって残った町の気合いを高めることになりました。
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井上晃さんのごっついええ話1994

節句祭はくすぶっている
笹屋さんは、かなり有名な祭好きでいらっしゃるわけなんですが、これまでいくつくらい祭を見てこられたんでしょうか?

さあ、どのくらいやろ?海岸線は全部行ったし、こっちの播州一円もだいたい見たし。

20や30ではききませんか?

うん、そやな。もっとやろか。熊野なんか3年くらい続けてずっと行っとるしな。まだ見とへんのは生野の祭だけや。そやから生野はいっぺん行きたいなと思とるけどな。

生野を見てないは何か理由があるんですか?

日が重なってまうわけや。祭っちゅうのはだいたい同じ日ぃにするさかい。

その中で好きな祭を3つ挙げるとすると?

そやな、海岸線をどけて、この周辺で話をするとな、いちばん盛大なんは甲山。金竹の近くの祭やな。

みこし屋台ばっかりのとこですね。

あそこの祭はええで。それから熊野神社な。

熊野神社がベストスリーに入りますか?

そうやな。

もうひとつは?

それから北条の節句祭や。

北条の節句祭は三番めですか?

いや、そら一番ええのは北条の節句祭が一番ええと思うけどな。

ええのは節句祭が一番やけど、好きなんは三番めですか?

そやな。ちょっとな、今の雰囲気のままやったら具合い悪いな。くすぶっとるというわけやないけどな。ちょっとな、昔と違うやろしな。時代も変わったし・・・・

昔が良すぎたんでしょうか?

よその祭を見よったら北条の祭はええ祭やなと思うで。ゼッタイ思うわ。なんぼ女鹿があんだけ盛り上がっとっても、やっぱし、なんか北条の祭、ええなあ。もう、そういう頭になってもとんのかな。

いや、それは北条の祭がホンマにええんでしょ。きっと。

絶対ええと思うわ。こんだけええもんをずっと引き継がなんだらやな・・・・、こんだけの祭をすたれさしてもたいうたらやな、もうどないもしゃあない。

いったい何が節句祭をすたれさせてるんでしょうね?

そらやっぱり時代やろか。時代の流れというんかな・・・・。けど、祭に警察があんまり口出しすんのはやめてほしいわな。海岸線のほうにおった警察の人が来てくれたったらええねんけどな。もっと融通がきくと思うわ。

今の警察署長さんは祭という伝統文化に理解がないんでしょうかね?自分らのやっていることが祭をダメにしているということがわからないとしたらアホですね。

まあ年に一度のことなんやしな、盛大にやってくださいと。ケガだけはせんように、やんなさいやんなさいと、そういう警察官が来てくれたらいちばんええねん。

祭がすたれたせいもあって、近年はけんかもめっきり減ってますのにね。

昔はようけんかしよったけどな、警察はほとんど宮の外におったんや。そのころは北条の消防が祭を仕切っとった。はっぴ着てな。いなせやったわ。

消防?

そうや。村どうしのけんかになったら消防が割って入るんや。消防の言うことやったら、みんなききよった。消防が中に入ったらパッとおさまりよった。

消防ですか。

消防いうたて昔はヤクザ意識があったからな。「北条組」いうて、ものすごい権力もっとった。もう何十年も前の話や。その時分なんか警察なんかほとんど祭に口出しせえへん。外でウロウロしよったくらいのこっちゃ。 いまなんか警察がいちばんええ場所に陣取ってしもてるやろ。境内の中の能舞台のとこに本部があるんやからな。頼むからあんなとこに警察の本部を置かんとってほしいわ。あんな高いとこからマイクで注意されたら祭をするもんが萎縮してまうわ。 以前は宮の外にテント張って、そこに本部があったわけや。それでええやんか。

確かにいまは100%管理できるまで気がすまんという感じで締めつけられてますからね。
西高室-宮入
よその祭から教えられること
よその祭はどんな感じなんでしょうか?

だいたいな、海岸線はな、昔のままピシッと引き継いできよるような感じや。浜手の方は日取りも変えへん。 いちばんはじめは高砂から始まっていくんやけどもな、そら、意気ごみが違うで。だいたいやることは似とるけどもな、あそこは船渡行(ふなとぎょう)いうてな、船に御輿を乗せて渡っていくわけや。そら勇壮なもんや。

やっぱりそういうのも見てみないとあきませんね。

そら、よその祭は見なあかん。よその祭を見たら「こうせないかん、ああせないかん」というとこがわかってくるわけや。自分とこの祭とえらい雰囲気が違うな、と。 どこが違うねやろ、と。そこで疑問をもってやな、考えてみることや。そやから、よその祭をまず見ること。これは大事やな。そういうことから言うと、高砂神社の祭は昔式のええ祭を守ってきよる。曽根もそう。大塩もそうや。

曽根は北条と同じふとん屋台なんですよね。

そうそう。

屋根に赤とか緑とか色がついとるから、新しい祭のように見えるんですけども。

そうでもないんやで。歴史は古い。ここの黒駒の屋台が曽根から買うてきたやつや。そのときにはえらいことやったらしいけどな。

といいますと?

曽根の方は「売れへん」いうし、こっちからは買いにいくし。その当時、逃げるようにかいて(=担いで)帰ってきたいうもんな。

えっ?曽根からここまでかいて?ごっつい話ですね。

そら昔は車もなんにもあらへんもんな。

じゃあ曽根と北条は、昔はお互いに意識しあうようなことがあったんでしょうか?

そら北条の節句祭いうたら有名やったからな。わし、こないだ三木へ行ったんや。ほんで、そこのおばあさんと話してて、はじめ「加西市から来た」言うたら、あんまり知ってへんわけや。「加西ってどこでんの?」いう感じや。それが北条からや言うたら「北条やったらよう知ってますわー」言うて・・・・。そら北条の町は有名やで。

大塩の方はどうですか?

大塩はな、曽根と隣あわせやけど、また全然違うわな。今でもそない昔と変われへんのん違うかな。今でもごっついケンカするもん。さっきまで屋台かいとってもやな、急に降ろしてまうわけや。なんで降ろしたんかいな思たら、どつきあいや。あそこはいちばん性が悪いわ。ケンカが多いとこや。墨入れた若い衆がぎょうさんおるもん。

ふとん屋台が出るということでは熊野神社(福崎)もそうですね。

そやな。そやけど、熊野神社はふとん屋台とみこし屋台の混合やろ。そやから、もうひとつなんかこう、寄せ集めみたいな感じいうんかな。

そやけど熊野神社の祭は良くなってきてると聞きましたが。

そや。若い衆に意気ごみが出てきた。わし、3年ほど続けて熊野神社ばっかり行っとんねんけど、ずんずん良うなってきとるな。あそこはやっぱし、村で会合したときでも青年の意見が通りよるみたいや。それが雰囲気を良くしよるわけや。

北条と同じ龍王舞があるそうですね。

そうそう。だいたい踊りも掛け声もいっしょや。

まったく同じではないんですね。

そらあ、こんなん言うたらなんやけど、北条の方が本格的な感じがするわな。あんなふうに神がかり的な雰囲気を出すのはなかなか難しいで。あれは練習もようしょってや。

他に何かお奨めのユニークな祭はありますか?

飾磨に行ってみい。「台場さし」するとこ。あれがまた、ものすごいええわ。「台場さし」いうてな、屋台の土台のとこがあるやろ。地面につくとこ。あそこだけでかくんや。「よーいやさあ」で屋台をさし上げるやろ。そのときに、まわりでかいとるもんがパッと手ぇ離してしまうんや。で、台場の下に20人ほど入るわけや。

重たいんちゃいますの?

そら重たいわ。みんな肩入れてやな、揺するんや。飾磨の駅の近くや。恵比酒宮天満神社いうたかな。あれいっぺん見て来い。その祭でおもしろいのはな、一日が終わってやな、宮から屋台が帰って来たらな、村の入り口で嫁はん連中がずらーっと並んで待っとるわけや。それでその場で全部、女の人と替わってしまうわけや。で、女の人が「よーいやさあ」いうてかいて、屋台庫へしまうわけや。それほど祭が一体化しとるわけや。

屋台をしまうときだけ女性が出て来るんですか?

そうそう。「お父さんたち、ご苦労さん」という意味やろな。村の入り口まで男連中がかいて帰ってくるやつをパッと入れ替わってしまうわけや。わし、あれは珍しい思たわ。エプロンしたままのようなオバはん連中やけどな、ものすごい元気やで。飾磨はな、同じ日に祭がふたつあんねや。「台場さし」が有名なとこと「台場がき」(※「台場ねり」とも)が有名なとことふたつある。いっぺん行ってみたらええ。

他には?

黒田庄の祭なんかは掛け声がおもしろいな。「ちっちょりな」とかな。ネルの腰巻きしてな。

屋台は出るんですか?

3台か4台くらい。ふとん屋台や。ほんで宮入りしたらな、屋台をぐるぐる回すんや。

回す?

そうや。それも危ないで。それはここの土地に独特のもんやな。

どこにどんな祭があるいうのんは、どうやって調べるんですか?

ウチなんか店やっとるからな。雰囲気で祭好きいうのんがわかるやろ。ほならお客さんが教えてくれたりな。やっぱり、好きやったら情報が入ってくるわ。

なるほど。
龍王の舞
祭のあいだは女を断つ
節句祭は「わっしょい」とか「よいやさー」とか、そういう簡単な掛け声の繰り返しじゃないところがいいですね。

そこに意味があるからええんやで。そこに情緒があるんや。「よっそい、よっそい」いうてかくのとちごて、意味がある言葉を使いよるやろ。

うまいことできてると思いますね。

そらようできとるわ。伊勢音頭でもなんでもないしな。

伊勢音頭?

そうや。よその屋台はだいたい帰るときに伊勢音頭を歌うんや。そういうとこが多いな。けど北条の場合は千秋楽やったら「ろきゃろっきゃろっきゃ、明日の晩はろっきゃ」(※「ろっけろっけろっけ」とも)いうて帰りよるやろ。 そんなんが独特でええと思うな。そやけど、そういう掛け声すら、今の青年なんかは意味を知らんと思うわ。

「ろっけろっけろっけ」いうのはどういう意味ですか?

「ろっきゃ」いうのは「楽じゃ」いうことや。「千秋楽じゃ」と、「明日の晩は楽じゃ」というわけや。 「楽じゃ」ということは、明日の晩は久しぶりに嫁はんと何やかんやできるいうことや。そやから「オメコしょうとらっきゃ」いうて帰りょるんや。

オメコしょうとらっきゃや?

楽や。

そういう意味なんですか?

そうや。昔からそういう意味や。そういう意味を伝統的にずっと続けとるとこもあるわな。

「一かけ、二かけ、三かけて、四かけたオメコは」いうのんも伝統ですか。

そうや。あれは昔っからそうやったわけや。

あ、そうなんですか。最近の青年が勝手に作ったんではないんですか?

違うんや。

やっぱり祭のあいだ、女は・・・・

断つわけや。昔はな。今でこそ前の晩まで嫁はんといっしょに寝とるけどな。昔は一週間前から嫁はんと縁切りよったわけや。もっと昔はもっと前から女を断ちよったわけや。 で、男ばっかりで公会堂へ集まって、男だけで炊事して、完全に女っ気を断ってまいよったわけや。ほんならそのウップンがたまってたまって、その反動で祭にものすごい勢いがつきよったわけや。ほんで祭がすんで、帰りやけに「明日の晩はできる」と。 やっとオメコしてもええと。喜んで帰っていっきょったわけや。

そういう意味だけの歌ですか。

そうそう。そらもう若いもんがやな、10日も20日も女と離れてしもたらやな、そないなるわな。

ほんなら「さしてやろ」いうのんも、なんかそういう意味があるんでしょうか?「まわしましょ」とか。

いや、それはない。

そうですか。(あったら怖いわ・・・・。)
西上野-宮入

屋台は落としたらあかん
外国人がこういう祭を見たら、不思議な感じがするらしいで。怖いんやわ。こんだけ団結力のある国民は「怖い」と映ると思う。そらそやで、こんだけの重たいもんを、みんなの力で支えるんやからな。 日本人は、なんと団結力があんねやろと思うわけや。けど、このごろは「村意識」いうのんが無くなってきたな。福崎の祭なんかやったら、まだ残っとるけどな。「あそこに負けたらあかん」という気持ちをもってやりよる。 「あそこがあれだけ頑張ってかいとる。ウチはへたっとられへん」っちゅうて怒りよる。そやから宮入りでもそない落とせへん。宮入りはゼッタイ落としたらあかん。

それは耳が痛い話です。

熊野神社の場合は、なかなか落とせへんで。たまに落とすことはあるけど、北条みたいにやな、落としたままボーッと休んだりせえへん。

ひどいのはタバコ吸うて一服したりしてますもんね、宮入りの最中に。

そんなもんいちばんみっともないことやと思うな。町まわりのときとかやったら、そういうことしてもええけどな、宮入りは落としたらあかん。

住吉神社の場合は、前の屋台が落としたら、それを追い越したらあかんということで、つっかえてしまうんですよね。そやから、うしろも落とさなしゃあないような状態なんですよね。 落とした屋台は脇へどいて、追い越してもらうようにルールを改めるべきでしょうね。

改めなあかんな。

みこし屋台とふとん屋台と、どっちが好きですか?

そらあふとん屋台の方がええわ。ま、人それぞれやろうけど、わしは、ここで生まれてここで見続けとるせいか、なんかみこし屋台よりもこっちの方がええような気がすんな。

ふとん屋台の方が断然好きやという人は多いですね。

わしも何べん見に行っても、灘のけんか祭へ行ってもどこ行っても、やっぱりふとん屋台の方がええなと、絶対そない思うな。屋台らしいわ。 けど、みこし屋台でもな、網干の祭行くとな、ちょっと似とんねん。網干の祭とここの祭、なんか似たとこあるわ。行事とかがな。あそこは真剣に、まじめにやりよるな。神事通りいうんか、昔のしきたり通り、いうんかな。

去年は雨で残念なことになりましたね。

わしな、雨が降ることに関してはな、当り前や思うねん。だいたい節句祭はな、もともと雨乞いから始まったもんでもあるしやな、4月はよう雨が降る季節やからな。そやからいうて屋台が帰ってしまうことないと思うんやわ。 横尾とか栗田の若い衆でもな、祭の好きなヤツがウチの店によう来るんやけどな、「おっちゃん、こんなもんあかんわ。どんどんやる気なくしてまうわ」言うわけや。好きなもんがそない言いかけたわけや。ものすごい好きなもんが折れてしまいよるわけや。 好きなもんがはりきられへんような祭は、やっぱりすたれるわ。

けどね、確か3年前(1991年)やったと思うんですけどね、どしゃ降りやったのに中止にせんと、宮入りやったことありましたよね。あのときはびっくりしましたよ。やっぱり節句祭はすごい、と。

あのくらいの雰囲気やないとあかんわ。「雨が降ってもやる」いうくらいの勢いつけなあかん。あのときは雨がものすごい降りよんのにやなあ、屋台が入ってきて勅使塚の上へあがるやろ。すべってしもて差し上げられへんやんか。 それでも宮入りしていったやろ。あの雰囲気や。あれでなけりゃ、あかんわけや。それが去年なんかサッといんでもた。

つい3年前でそれやったんやから、まだ節句祭のパワーは残っとるはずやのにね。

それが去年はやな、宮入りが4時半か5時やのにやで、3時半に決断してもたやろ。区長会と宮総代の折り合いがうまいことつかなんだらしいねんけどな、それで屋台が帰ってもた。それが宮入りの時間になったら雨やんだ。 サイテーや。祭は自分らだけでしよるんと違うんや、ということを区長会がもうちょっと自覚してほしい。楽しみにしてる人らのためも考えたら軽率なことはでけへんはずや。

けど、いやいやながら祭に引っぱりだされて、さっさと帰りたい人も大勢いるわけですよね。そうすると、みんなのために中止にしたんやというのも一理ありますよね。

そら一理ある。けど、要は若いもんを祭の中へ入れることよ。若いもんの意見も汲み入れなあかん。

これがもし、しょうもない祭やったら、とっくになくなってしまってますもんね。

そうそう。もうとっくに済んでしもとる。なんで850年も続いてきたんか、もっと自覚せなあかん。 海岸線の方の祭はな、区長が違うで。祭のために警察へしょっちゅう通うらしいな。ほんで、始末書だけでも14、15通くらい書く言うとったわ。

区長いうのんは始末書を書く係みたいですね。

そうそう。北条の祭もそうでないといかんわ。区長いうのんはあくまでも屋台の最終的な責任者であって「最後の責任は自分が取るから盛大にやってよろしい」と、そういう区長でなかったらあかん。

なんでも「ことなかれ主義」というケツの穴の小さい人には区長になってほしくないですね。

そうや。海岸線の方やったら、そんな人は区長にはなられへんわ。

「祇園囃子練り」を語る
祇園囃子はどこの祭にもあるんですか?

あれは独特なもんや思うな。あれはええんや。あれはええ。

そうですか。

ええ。ゼッタイええわ。あれがよかったんや。今でこそコマつけてな、押していくだけやけどな、昔はかいて、あの狭い道を、ゆっくりとかいて、ずーっと・・・・

あー、そんな祇園囃子をいっぺん再現してもらいたいですね。

あの雰囲気は絶対ええ。そらゼッタイええ。ゆらゆらーゆらゆらーしながら、かいていくねんでな。「よいやさあ」いうてかいていくのと違うもん。若いもんが上に乗って笛を吹きながら、揺らさんように、ゆーっくり進んでいくわけや。優雅に「あーよーいよい」いうて行く。あの雰囲気はゼッタイええ。

年輩の方に当時の話を聞くと、あれは相当キツかったようなことを言うてはりました。着物が肌に食い込んで、貼りついてしまうくらいしんどかったらしいですね。 宮入りよりもエラかったらしいです。さすがの東高室もそれはやめてしまいましたね。

そやけどホンマのこというたら、かいていってほしいわけや。御旅所からの帰りはな、かいてほしいわけやねん。

しんどい伝統は簡単にやめてしまうわけですね。ラクなとこだけ「伝統を守らなあかん」とかいうて。

そうそう。こういう素晴らしい伝統こそ、残さなあかん。しょうもないことで「伝統、伝統」いうてな。7回半迎えに行くとかいうのんは、みんなちゃんと見てへんし、ホンマのこと言うたらどうでもええねん。

節句祭の勢いを取り戻す方法はあるんでしょうか?

祭の実行委員会みたいなもんをつくった方がええと思うな。今は区長さんとか宮総代とか、そこらだけが寄って決め事をしょるわけや。そこへ警察がからむわけや。そしたらほとんど警察の言いなりで時間とかコースとかを決めさせられるわけや。

最近の祭はしらけてますもんね。好きな人もいっぱいおってやのにね。なんででしょうね?

結局な、規制やわ。規制をつくるさかいに若い衆がはりきられへんねん。

けど、北条の町自体がさびれてきたいうこともあるんちゃいますか?人数も減ってますし。

まあそれもあるかもしれへんけど、昔から本町なんか人数おれへんもんな。それでも昔は横田やそこらからどんどんかきにきょったったわけや。ちゃんと一日の日当出してな。本町なんかほとんど横田の人やったんちゃうかな。

ほな、人数が少ない、いうのんは今に始まったことやないんですね?

そうそう。それよりやる気や。それとわしな、サイサイ祭のときにな、加西にある御輿と屋台を全部、いこいの村のまわりに集めてほしいなあと思たこともあんねや。そしたらサイサイ祭ももっと活気のあるもんになると思う。

そらそうでしょう。ちょっと話が大きすぎるように思いますけど・・・・。

ほんで昼間はやな、網引の獅子舞とか、満願寺の踊りとかをいっぺんに見られるようにするわけや。

それは藤岡市長に相当がんばってもらわないといけませんね。

たこ焼きと祭
井上晃さん
例えば今やったら、「灘のけんか祭」いうたらごっつい祭でしょ。あれは昔から大きいんですね。

そうやな。そやけど、昔よりは盛大になりよんちゃう。昔はそれほどでもなかったで。

それと勢いのあったころの北条の節句祭を比べたらどうです?

そら、節句の方がすごかったと思うわ。

北条の節句祭が灘のけんか祭よりもすごかったんですか?えこひいきなしで。

うん。ひいきなしで。そら昔はけんか祭よりもこっちの祭の方が賑やかやったな。

なんや夢みたいな話ですね。今の節句祭の何倍もすごかったわけですか?

そらもう、昔はごっつかったもん。御旅町筋なんか歩こういうたて歩かれへんかったもんな。人で人で歩ける状態やなかった。その時分、サーカスが来よったしな。

ここらの人で、そこそこ歳のいった人は、みんないっぺんくらい見に来とってんやろね。

そら見に来とってや。宗佐の薬神さんと、鍛冶屋の金比羅さん。それから北条の節句祭いうたら、ものすごい賑やかやったんやもん。

いわゆる「播州三大祭」いうやつですね。

そうそう。

そやけど、どれとどれが「三大祭」か、いうのんは、人によって言うことが違いませんか?

違うで。違うけど恐らくそれやと思うわ。事実、それがここらでいちばん大きな祭やったもん。

灘のけんか祭とかは「三大祭」には入らないんですか?

播州いうても東播近所の三大祭やからな。むこうは西播や。

あ、ほんなら浜手の方の曽根とか大塩とかも入ってないわけですね。

入ってないな。

宗佐の薬神さんや鍛冶屋の金比羅さんも、やっぱり屋台が出るんですか?

あそこらは屋台はない。出店が並ぶだけや。そやから北条の祭がいちばん良かったんや。子供がみんな弁当持ってやな、神崎郡やら小野やら西脇から。

神崎郡から?

そらもう北条の節句祭いうたら周辺からみんな見にきよった。子供でも大人でも、みんな連らって見にきよった。

変われば変わるもんですね。

わしが子供の時分にな、お宮さん行ったら関東だきを売りよったわけや。で、その関東だきをペタペタペタペタしょうが醤油につけて食べる。それがおいしかったわけよ。それが忘れられへんかってん。そやからわし、おんなじ方法で、いま、関東だきをずっと続けとるわけやけどな。昔の名残として。

それが今のご商売の始まりですか?

そうや。

節句に食べた関東だきが商売の始まり?

そうそう。自分が子供のときに食べた、その味を残したい、と。

笹屋
たこ焼きもですか?

たこ焼きも、お祭でよう売れよったやろ。で、それを見て、祭でこんだけみんな喜んで食べるんやったら、店にしても流行るんちゃうかな、と。

ほなこの商売、みんな祭と関係があるわけですね。

そうそう。ウチはもうみんないっしょこたや。そやからウチの商売、的屋(テキヤ)みたいなもんや。年がら年じゅう的屋しよるようなもんや。

他にはない神事「鶏合わせ」
鶏合わせには勝ち負けはないんですけど、どうも勘違いをされている方が多いようですね。

今は勝ち負けはないな。そやけど、わしらの小さい頃は、まだあったで。鶏を持ち上げてな、顔を合わせたときに顔をそむけた方が負けや。で、西と東の勝った方から屋台が出ていっきょった・・・・らしいんやけどな。

それはほんまですか?昔はそうやったんですね?

うーん、どないかな~。わし、小さい頃やったからな~。ちゃんと覚えてへんけどな~。けど、そういうハナシは聞きよったで。鶏合わせで屋台の帰る順番が決まるいうハナシはな。

祭に参加している人でも案外、祭の意味がわかってない場合が多いと思うんですが・・・・。

そやな、あんまりわかってへんやろな。まずやっぱり祭の起源や。そこから入らなあかん。だいたいこの祭はもともと雨乞いから始まっとんや。

それはほとんど誰も知らんことやないですかね。(節句祭のバイブルと言われる「私たちの住吉さん」にも書いてなかったような・・・・。)

もともとは住吉神社いうのは酒見社いうとったんや。で、その酒見社には十一面観音が奉ってあったんやけども、いっとき日本全国に雨が降らんとな、干ばつでものすごい困ってもた時期があるわけや。そのおりに天皇が勅使を遣わして、十一面観音を拝んだったわけや。書写の坊さんとか法華山の坊さんとか20数人の坊さんが寄ってきて、ほんで般若心教を唱えたったわけや。ほんなら途中からものすごい雨が振りかけてな、偉大なるもんやと天皇が感心されてな、それから絶えず勅使を酒見社の方へ遣わすようになったわけや。それが途中で、お寺を別に建ててくれというお告げがあって、それから別に酒見寺を建てたったような感じや。その当時はまだ住吉神社と呼べへんかったんや。

そんな話、聞いたことないですけど、ほんまでしょうね?どこでそんなことを教わられたんですか?

わしな、そういう歴史的なこと、好っきゃさかい、あっちこっち行って聞き歩いたんや。黒駒行って聞いたり、古文書見してもうたり。

なるほど。

その勅使の子孫が今の西上野や。そやから鶏合せのときに横尾が迎えに行くやろ?7回半、迎えに行くわけや。けどな、事実はな、西上野と違うんや。ほんまの話は黒駒やねんて。昔は黒駒に大歳神社があったわけや。

おとっさん(大歳神社の通称)は黒駒にあった?

ウソみたいに思うやろ?けど、これは絶対ほんまや。

それは宮司さんも知っておられますの?

そら確認してもええ。知っとってや。大歳神社は黒駒にあったんやけども、黒駒がよう面倒みきれんと、今の南町にもってったったわけや。住吉神社に神社が三つあるやろ。あの右側の方に黒駒の大歳神社が納めてあんねん。

住吉神社に神社が三つある?

拝殿の裏に三つあるやろ。あれの右端が大歳神社、左端が西上野の八幡さんが納めてあるわけや。

神社に神社が納めてあるわけですか・・・・。ややこしいですね。

あんたら、ウチの前の道(県道)を屋台が通っりょったん知らん?知らんやろな。この前を通って、全部の屋台をずらーっと黒駒へ並べよったわけや。その時分は高い建物もなかったしな、そら勇荘なもんやったんやわ。

わたしら、せいぜい20年前くらいしか覚えてませんわ。昔の節句はすごかった、いう話はよう聞きますけど。

そらすごかった。あんたらみたいな若い衆やったら、節句がお見合いの場になりよった。

見合い?

女の子なんか、みんな綺麗な着物を着てな、正装して婿さん選びに来よったもんや。あの人がかっこええとか、この人がええとかな。

それに比べて最近は、若いギャルも減りましたね。(それがいちばんの問題やったりして・・・・。)

御旅町青年団

祭のあるしあわせ
笹屋さんの場合、祭のどんなところに引きつけられるんでしょうか?

そらもう祭を見たおりは、頭ん中カラッポやな。祭一色いうんかな、そこへ溶け込んでまうわ。

どんな祭でも?

どんな祭でもや。祭を見に行ったら、頭ん中、何にもかも忘れてカラッポ。それとな、どない言うんかな、祭のあるおりは昔に帰ったような感じがする。 そない思えへん?祭の雰囲気の中に入ったらな、昔の良さいうもんを、そのときに初めて感じるな。

もっと時間とカネがあって、日本全国の祭が見れたらいいですね。

そらええな。わし、だいたいな、よその祭のな、掛け声が違うとか、その祭独特のもんがあるやろ。そういう「違い」を見てまわるのが好きやな。祭の個性いうんかな。

全国的に見ると、屋台の出る祭っていうのは他にもあるんでしょうかね?

いや、播州独特やでこれは。屋台を「かく」(=担ぐ)いうのは。そんな感じや。山車(だし)とかそういうのを引っ張るやつは他にもあるけどな。

とにかくわしは、日頃の憂さを忘れてまう祭の雰囲気、それがええ。今までモヤモヤしたもんがあっても、祭の日はすべて頭から抜けてまう。 それが祭のええとこや。人間的にもな、それがサイコーにええと思う。祭ですべて発散する。それだけでええと思う。ストレスが残るような祭、したらあかんわ(笑)。「あー今年、あかなんだ」てな、そんな祭、あかんわ。 とにかく二日間で全部吐き出す。一年間のうっぷんをすべて晴らす。帰りがけにはやな、「もうこれですんでまうねんな~。寂しいなあ~」という感じを、「また来年もしたい」という雰囲気を、もって帰ってほしいわ。

そんな祭のあることは幸せですね。

幸せや。屋台のないとこの人は言うてやで、ほんま、「祭のあるとこはええわー」って。小野はないんや。そやから小野の人なんかやったら、みんなそない言うてや。三木にはある。あるとこは幸せや思うで。 わしらでも何べんそない思たかわかれへん。そやから屋台を買おうっちゅうて、だいぶ話したこともあんねん。

屋台が一台増えたら節句祭の気分も変わるでしょうね。

昔の写真、見てんな。ずら~っと並んどるやろ。19台あってんで。せめて子供みこしでもと思たけど、やっぱり子供みこしではな、瀬がない。瀬がないわ。

いちばんよかったころの勢い、取り戻したいですね。

やっぱしな、北条の節句祭には、よそにない良さがあると思うわ。「優雅な」いうんかな。「勇壮」やなしに「優雅」。情緒がある。なんかこう、しっくりとした感じがする。 やっぱり着物を着とんのがええと思う。ハッピに替えたらどうやとか、そういう話もあるけど、それはあかんやろな。

「よーいとさのね」のリズムは、浜手の祭に多い「よーいやさあ」のテンポよりも、かなりゆっくりしてますしね。

そうや。京都の祭にもちょっと共通したとこがあるんと違うかな、北条の祭は。「優雅」や。

粋ですよね。

粋やわ。こんなもんフンドシしめてやったて似合えへん。

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笹屋の遺言

井上晃さんの話は、もしかしたらマユツバものじゃないの?って印象もあるでしょうね。 祭で気にいらんことがあると、宮総代でも区長でも食ってかかって相手かまわずケンカしてましたね。祭で酔っぱらって、また叱られて、追い返されて。 歩けんくらいふらふらやのに、ぶつぶつ文句ばっかり言うてる晃さんを、わたしが家まで連れて帰ったこともありました。
 晃さんの住まいは駅前町。屋台のない町です。住吉神社の氏子ではあっても、屋台のない町は、祭ではどうしても発言権が弱いわけです。 そやから自分の意見がいっこも聞いてもらえんと、そういうのが悔しくてしかたがなかったんですね、おっちゃんは。
 「あいつはええかげんなことばっかり言いやがって」って、生前からしょっちゅう叱られてましたけども、だからこそ、というか、そういうところが、わたしたちは好きでした。 思うことがいっしょで、若いもんの言いたいことをかわりに言うてくれてるみたいで。いくつになってもやんちゃで、性懲りもなく。
 わたしがミニコミで取材をさせてもらったとき、最後に、なんかきっちりしたことが手書きされた一枚の紙をおっちゃんから渡されました。 恥ずかしそうにその紙をわたしに見せながら、「ワシの言いたいことは、だいたいこれに書いたさかい。さっきしゃべったことはどうでもええさかい、これだけは載しといてくれ」と、念を押して頼まれました。それが下のメッセージです。
 柄にもなく、というと失礼なんですが、この人は大まじめに、こういう想いで毎朝、住吉神社の掃除をされていたんやろうなと思います。 大みそかの夜には毎年、住吉神社に初もうでに来る人にうどんを出してました。いろいろ言いたいことがまだいっぱいあったんちゃうかと思うとちょっと泣けます。
祭とは、氏子が氏神様へ報恩感謝の意を示すもの。一年間、無事平穏に過ごさせて頂いたお礼に、氏子がそろって感謝の意を示すことで、心して氏神様を祀ることです。決して催し物(イベント)ではありません。
 氏子が神様と一体になり、その日を祀り楽しむもので、神聖な神事です。神があって氏子があるのであって、決して氏子があって神があるのではありません。
 氏神様は、一年の間、氏子のみなさんを目に見えない不思議な力でしっかりと守っていて下さるのです。
 みなさんは、神様にお願いすると、全面的にかなえて下さるとお思いかも知れませんが、そうではありません。自分の努力が七分で、神様が目に見えない不思議な力で守って下さるのはあとの三分であることを忘れてはいけません。その三分が大事だと思います。
 いくら努力をしても、あと少しのところで不可能になってしまう・・・・。その三分の力が不可能を可能にすることができるのです。神を信じるということは、自分を信じることにつながります。神を信じ、自分を信じることにより、自信をもってすべての事に打ち込める。 それが不可能を可能にする力です。不可能を可能にする力を神通力と言います。 氏子が神と通じることにより、お互いが力を出し合い、助け合う心になり、節句祭を後世に伝えることが祭好きの方々の願いであり、850年の伝統行事を引き継いできた氏子の心意気だと思います。
井上晃さんのメッセージ
よいさーよいさ
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