なんでもネットでお手軽に調べることができる時代、北条節句祭の情報も探せばあれこれ見つかります。 が、「トリは食べたらあかん」とか、どうでもよさそうな話ほど見捨てられがち。ここでは、他とはちょっとちがう角度から祭を掘り下げてみることにします。

「ごっついええ祭の話」へ

東郷の屋台

北条節句祭の基礎知識

神社仏閣めぐりもそうですが、祭も、なーんも知らんと見ても味わい深いもんですが、やっぱりそれなりに由来とか、故事来歴を知っておくと、もっとじんわりと深みが味わえる。 わたし自身、別に歴史マニアでもないし、なんの研究家でもないので、超初心者向けにしか解説できないのですが、がんばって知ってる範囲のことをわかりやすくお伝えしますね。
神幸式──祭のなりたち
まずはこれ、基本中の基本っていうか、けっきょく、祭っていったいナニをやってるんかっていうハナシ。北条節句祭にかぎったことではなく、全国各地の祭礼に共通していることでもありますから、ちょっと知っとくといいですよ。
 神さまが、祭のあいだ、いつもお住まいになっているおうちを離れて一泊二日の旅に出られるんだ、と、こう思ってくださいな。やっぱりね、神さまだってね、じーっと同じとこに座ってたら退屈しますやん。年に1回くらいは旅行もしたいってもん。 なので、地域の氏子がみんなで力を合わせて神さまをお運びするんですね。
 神さまの乗り物のことを「神輿」(みこし)といいます。意味がわかってなくても「おみこし」っていう言葉くらいは誰でも知ってますでしょ。はい、ここでちゃんと覚えてくださいね。神さまを乗せて運ぶから神輿なんです。 だから、神輿っていうのは、ものすごーく大事。
 そして、神さまが旅をされる先が「御旅所」(おたびしょ)っていいますね。わかりやすいですよね。わたしの地元は「御旅町」っていうんですけども、ちょうどね、神社から御旅所までを結ぶルートにあたるので、そんな名前がついてます。 「御旅町」っていう町名は全国のいたるところにあります。意味はみんな同じ。神さまが旅をされるところなんです。
 神社から御旅所へ神さまがお渡りになるプロセスを「渡御」(とぎょ)と呼びます。神輿を船に乗せて運ぶやつは「船渡御」(ふなとぎょ)ですよね。 神輿の前後には、神さまを先導したり護衛したり笛や太鼓で賑やかに盛り上げたりする者がぞろぞろいて、賑やかな行列になります。神さまに寂しい思いをさせてはいけませんからね、日ごろの感謝を示す意味でも行列は賑やかなほうがいいですよね。
 屋台もまた、神輿の行列を華やかに盛り上げるために、氏子各町が奉納するものです。つまり、あれには神さまは乗ってないんですね。また、屋台の奉納は神事ではありません。あくまで主役は神輿。というより、神輿にお乗りになっている神さまなんですね。
 御旅所に到着した神さまは、そこで一泊されますので、神輿を鎮めたあと、氏子が寝ずの番をします。そして翌日、こんどは御旅所から神社へ、神さまがお戻りになります。これを「還御」(かんぎょ)といいますね。
 以上が、祭の大まかな祭礼の流れです。こういう流れで行われる祭礼のことを「神幸式」とか「神幸祭」といいます。 北条の節句祭も神幸式なんですけどもね、このことを知らないと、まるで屋台が祭の主役のように見えて、神輿はそのついでに宮入りしているように見えてしまうはずです。わたしも子どものころはそう思ってました。 ひとつ賢くなりましたね。
神輿──祭の主役
神輿 そんなわけですから、祭の主役は屋台ではありません。意味的な主役は神輿なんです。北条節句祭では、西郷と東郷の2基の神輿があります。 (だからって神さまが2人いるってことじゃなくね、神霊ってひとつふたつと数えるもんじゃありませんから。) 雨が降って屋台の奉納が中止になることはあっても、神輿の巡幸が取りやめになることはありません。「神事」とは、神さまの渡御に関わる祭礼の核心部分です。 屋台がひっくり返ることはあっても、神輿がひっくり返ることはありません。決して地べたに触れるように置かれたりすることはないのです。
 神輿が、どれだけ大切に運ばれているかを眺めていると、祭の本来の意味がわかってきたりします。 差し上げ方や揺すり方にしても、神さまに喜んでいただこう、気持ちよくなっていただこうという報恩感謝の気持ちでご奉仕しているのですね。
屋台
屋台 北条では「屋台」(やたい)といいますが、おとなりの福崎では「やっさ」と呼んでます。 いろんな言い方があるんですが、播州以外の、よその地域の人にこれを説明しようとすると、どう伝えたらいいか詰まってしまいますね。 見たことがない人にはどうにも伝えようがない。 特に東京の人は浅草の三社祭のイメージが刷りこまれてますので、 祭といえばワッショイワッショイしか知らないも同然なわけでして、 「みこしの大きいやつ」とか「山鉾の小さいやつ」としかわかってもらえないわけで。
 屋台の宮入りだけが節句祭ではないのですが、やはり、観光目的という視点ではこれが祭の主役ということになるでしょう。 神さまの旅程に合わせて、宮入りはぜんぶで4回。宵宮(1日め)は住吉さんから御旅所、本宮(2日め)は御旅所が先で住吉さんが後。 宮入りはどれも勇壮豪華で見応えありますが、やっぱりいちばん気合いが乗るのは最後の宮入りですんで、 初めて見物に来られる方は、本宮(祭の2日め、日曜日)の午後4時までに住吉神社にお集まりください。
 北条の節句祭には全部で14基(西郷6基、東郷8基)の屋台がありますが、神輿を担当する地区(1年ごとに持ち回りの当番制)は人手が足りなくなったりして屋台が出せなかったりします。 年によって13とか12に減りますから、14町すべてが揃ったところを見ることができたらたいへんラッキーといえます。 ふとん屋根でこれだけの数の屋台が出るのは播州では曽根を上まわって最多(みこし屋根では魚吹八幡の18)でして、 満開の桜をバックにずらっと勢揃いしたところなどは、なんべん見ても壮観です。
鶏あわせ
鶏あわせ 西暦1122年から行われているというからなかなか由緒ある神事です。 類似の儀式は他になく、ここでしか見られませんから、北条節句祭の見せ場のひとつなのですが、ハデさはないので闘鶏のようなものを想像していたらガックリします。 雰囲気としては「にわとりのにらめっこ」に近いです。「え、あれで終わり?」とか言わんといてください。傷つきますんで。
 雰囲気はにらめっこに近くても、勝ち負けを決めるものではありません。いさかいをなくして仲良くしましょうという儀式です。
と、これだけハッキリ説明しているにもかかわらず、何年たっても「今年はどっちが勝ったん?」と尋ねている人があとを断ちません。 「西と東のうち勝った方の屋台が先に宮を出る」という俗説もあります。ほんとうは昔は勝敗があったんじゃないかと勘ぐりたくもなりますが、真偽のほどはわかりません。 二日めの宮入りのあと、だいたい夜8時ごろに行われます。
龍王の舞
龍王の舞 2日め(日曜日)の御旅所入りと本社入りのあと、それぞれ西郷と東郷の2回ずつ、計4回行われます。 「龍王舞」と書いて「りょうおうのまい」と読みますが、地元では別名「ジョマイ」とも呼ばれています。
 踊っているのは天狗ではなくて猿田彦(さるたひこ)という名前の神さま。 この舞の故事来歴について詳しく書くと長くなってしまいますのでここでは省略します(実は知らんだけです)が、猿田彦というのは、住吉神社の神さまが、御旅所から本社へ戻られる際の道案内役のようなものだと覚えてください。
 祭の1日めには龍王舞は行われないのですが、これはつまり、北条の猿田彦は帰り道しか道案内をしないということで、そこがちょっとよその猿田彦と違うところです。
 東郷の舞は栗田が、西郷の舞は小谷が受け持つことになっていて、これは昔からずっと変わりません。東の舞いは荒々しく、西は繊細で優美という特徴がありますので、その違いをぜひ味わってみてください。 わたしは個人的に西郷の舞が好きで、「たおやめぶり」な猿田彦の体のくねりをじっと見ているとムズムズしてきます。 はじめゆっくりでだんだんピッチが上がってくる笛&太鼓のお囃子も最高。 「じょんじょめじょめじょ」という、なんだかわけのわからない下品でいやらしいかけ声も大好きで、いくつになっても毎年ツボにはまります。
浦安の舞
浦安の舞 わたしは祭のあいだじゅうずっと、金魚のフンみたいに屋台にくっついてまわっているので、実はいっぺんも見たことがないのが浦安の舞。(つまり、語る資格がない。)
 しかしこの舞は、北条節句祭のオリジナルというわけではなく、昭和時代になってから宮内省でつくられた神楽舞で、全国各地で見られる。 節句祭に取り入れられたのももちろん昭和15年より後であって、祭そのものの歴史にくらべると、まったく新しい出し物だといえます。
 ちなみに、「浦安」というのは千葉県の浦安市とは特に関係なく、したがってディズニーランドとも、ミッキーマウスのダンスとも関係ありまへん。
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入門!節句祭──林宮司にきいてみよう!

これも、わたしがいまから20年以上まえにつくっていたミニコミ誌からの再録でして、宮司といっても現在の宮司さんではなく、1994年当時の林宮司にお話をうかがったときのものです。
 林宮司は、このときは神職に就いておられましたが、実はわたしが小学校4年のときの、ちょうどとなりのクラスの担任の先生でした。 だいぶコワい先生で、どつかれたこともあるんですが、大人になってから会ってみると、とてもユーモアたっぷりの、やさしい宮司でした。
 そこで、北条節句祭についての疑問のあれこれを、やさしく解説してもらうことにしました。いじわるな質問もありますが、最後までニコニコしながらまじめに答えていただきました。 小学校の先生として見てたのはたった2、3年でしたが、いつまでも先生っていうイメージは抜けないもんですね。 ほんで自分も、いつまでもやんちゃなアホガキのままで変わってないことを再確認して、なんか安心。自分に笑えます。
林宮司

わたしにとっては宮司というよりやっぱりセンセイ

まずはどうでもええ話
俗に「えべっさんが二日とも晴れたら節句祭の天気も良い」ということを言う人が、たくさんいてはるんですけど、これは本当なんでしょうか?

そういえば今年はえべっさんの天気がよかったから節句も絶対に晴れると言うてる人がおってやな。

それについては?

うーん、そうらしい・・・・。それくらいしか知らん。

実際に確率でいうとどのくらい当たってるもんなのか、調べてみないといけませんね。

ぼくはあんまり意識してないから記憶にない。ただ、それは随分と以前から言うてる人はいる。

手元の記録ではね、5年まえ(1989年・平成元年)に祭が二日とも晴れやったんです。それ以降は4年連続で雨が降ってまして、二日とも晴れいうのんはないんです。 今年はえべっさんは二日ともええ日和やったんですけど、えべっさんが二日とも晴れたんは平成元年以来やということをニュースで言っていたのをぼくの友人のSくんが聞いて教えてくれました。 つまり、少なくともここ5年間は祭の天気とえべっさんの天気は一致しているらしいんですよ。

ぼ、ぼくは毎年、え、えべっさんにはお参りに行ってるんやけどな。なんせ、意識してないから・・・・。

これも今後の課題ということにしとかなあきませんね・・・・。そやけど、もし今年の節句が二日とも晴れたら、かなり当たる確率は高いっちゅうことは言えそうですね。

・・・・。(←そんなことどうでもええやんけ顔)


山高帽の謎
山高帽
区長さんの格好なんですけど、山高帽子にステッキ持って、というのは850年の伝統の節句祭にはぜんぜん似合ってないように思うんですが・・・・。

それも諸説いろいろあるんやけども、いちばんもっともらしい説を言うと、例祭は非常に大切な式やから、正装をするということになっとったんやと思う。そやから昔は紋付羽織袴やったんやろうと思うんやな。それが戦争中、祭が行なわれへん時期があったんやけども、戦後になって復活したときに、正装の形というのはどんなんやろか、と検討されて、ああいう形になったんと違うかなと思う。当時の紳士の格好が、ああいうのやったんやろう。イギリス紳士なんかの真似をしたんとちゃうやろか?

けど、今となっては陳腐でしょ。羽織袴に戻した方がええんちゃいます?

そやけど、あれは全国的にも珍しいからな。それを目当てに写真を撮りに来る人がいるくらいで。

当時の北条には、流行の先端を行くような人がいたんでしょうか?

かもわかれへんな。けど今は、あんな帽子がないから、手に入れるのに困るらしい。

なるほど。いまどき、あんなん作る人、いてませんもんね。

宝塚にあるんやて。宝塚は歌劇とかで使うシルクハットみたいなん作りよるからな。

実際に宝塚で買ってくるんですか?

買ってる人が多いみたいや。

山高帽
祭の季節
北条の節句祭は、なんで春にやるんですかね?

それはなかなかいい質問ですね。

あー、どうも。播州では、他の祭のほとんどが秋に集中してますよね。そやのに節句祭は春にやる。 そのせいで、サンテレビ恒例の名物番組「播州の秋祭りシリーズ」の仲間に入れてもらえなかったり、浜手の祭との相乗効果による見物客増が期待できなかったりといったデメリットがあります。 これは一体どういうことなんでしょうか?

それはな、ひとことにまとめるとな、住吉神社の神さまというのはな、「お祓い」(おはらい)の神さまってことなんや。

どういうことです?簡単すぎて説明になってませんけど。

いや、これがな、簡単そうでなかなか難しいんや。

お祓いっていうのが祭の日取りと関係があるんですね?

ある。大いにあるんや。「私たちの住吉さん」(※水田益弘著)にも、「祓いの理念、考え方は神道の根幹をなすものである」と書いてある。

なんか宗教っぽい話になってきそうですか?

まぁそうやな。例祭っていうんは、各神社が独自にもっているもんで、正月なんかよりよっぽど大事な祭典で、 この住吉神社は、春の祓いの日を例祭日に選んだということなんや。

はあ‥‥

それがたまたま旧暦の3月2~3日、つまり新暦の4月2~3日だったというわけや。 ま、だいたいそのくらい知っといたらええんちゃうかな。

そうですね。日本人は桜が好きやしね、ぼくも春が好きやしね。

そうそう。そういうこと。

鶏合わせの謎
しつこいようですけど、鶏合わせには勝敗はないんですよね?けど、やっぱりどういうわけか、今年はどっちが勝ったとか負けたとかいうことを、大きな声で話題にしている人がいますよね。 しかもその人たちはみんな「西と東のうち、勝った方の屋台から先に宮を出る」と信じてます。「火のないところに煙は立たず」と言いますが、まったく根拠のないことやったら、なんでこんなに多くの人が同じことを言うんでしょう?

最初は勝ち負けがあったということは、はっきりしています。闘鶏やったんやから。けれど、いつのころからかわかれへんけども、勝ち負けはなくなった。

勝った方が先に帰るというようなことは?

絶対にあり得ない。そらまあ、年によっては、ケンカとかがあって、どっかの町が怒って先に帰ってしもたということはあるかもしれへんけども、それは鶏合わせとは関係ない。(←初めて自信をもって答える宮司であった。)

少なくともここ数十年に関しては、勝ち負けを決めたことはないんですね。

そうです。(←キッパリ)

あ、そうですか。(どーも釈然とせんなあ~と思いつつ・・・・)ところで、余談ですが、あの鶏合わせの鶏は、ただのニワトリとは違うんですよね。

あれは播州柏(ばんしゅうがしわ)いうてね、現在では珍しい鶏やね。「かしわ」いうのはかしわもち(柏餅)のかしわ。「木へんに白」と書く字や。まあ、もともとニワトリのことをカシワと言うねんけども・・・・

それは東京では通じませんよ。

え?通じへんの?カシワって。

通じませんよ。東京には「かしわごはん」というのはないです。「トリごはん」です。いっぺんそれで恥かいたことありますから、たぶんそうです。「べっちょない」が通じへんのんといっしょですわ。

それやったら尚のこと、播州柏は値打ちあるわ。

はあ??

しきたりは守りなさいよ!
最近はあまり聞かなくなりましたが、祭のあいだじゅうは鶏を食べたらあかんそうですね?住吉神社には鶏の神様が奉ってあるわけではないんでしょ?

まあ言葉は悪いかもしれへんけど、神事の「道具」というかな、神事に使う大切な生き物という意味やろうな。別に鶏が奉ってあるんと違う。

鶏を食べたらあかんというのは?

もちろん、あかん。我々の子供の頃はそうやった。一切食べさしてもらわれへんかった。そやからぼくは小学校まで、鶏やとかタマゴやとか、ほとんど食べた記憶がない。

ホーッ、それはかなり厳しいですね。祭の間だけでなしに、普段もそうやったということですね。

そうや。一般の人は節句の間の二日間だけ。神事に関わる人、屋台を出す人、特に御輿をかく人なんかはタマゴさえあかん。

ぼくらが子供の頃も、それは言うてましたわ。のり巻もあかんし、たこ焼きもあかんし、アイスクリームもあかん。それが最近、言わんようになりましたね。

市内の仕出し屋さんに弁当頼んだって、タマゴが入ってくるくらいやからな。こちらからはタマゴを抜いてくれとやかましく言うんやけどな。ま、なかなか抜いてくれないし、入っとったら皆さん食べてしまいよってやな。 ま、事故がなければそれでええんやけど。

でも食べるとやっぱり縁起が悪いんでしょう?

タマゴやニワトリを食べて具合いが悪くなった神職がいたという話はあるけどもな。我々が生まれる前の話では、ニワトリを食った人たちが鼻がパンパンに腫れて大変な目にあったという話も聞いたことがある。 まあそれは、たまたま食った鶏が悪かったんやろうと思うけどな。

今となってはどうでもええことなんですかね?

まあ、ぼくも普段は食べてるけどもね、やっぱり戦後の食糧難のときに食べるものがなかったという事情もあるわな。

あんまりそれをやかましく言うと、的屋さんも困ってしまいますしね。商売にならんっちゅうて。

まあ・・・・そういうこともあるかもわからんな。

けど、今は食べるもんはなんぼでもありますから、もういっぺん「鶏禁止」を徹底させましょか?

・・・・

「播州三大祭」の謎
北条節句祭は新聞などで、よく「播州三大祭のひとつ」と称されるんですけども、ほんなら「播州三大祭」っていうのは、いったいどことどこのことか?というのは案外、知っている人は少ないと思うんですけども・・・・。

それなあ、ほんま、どこが三大祭なんやわからへん。けども北条の節句祭は、まあ間違いなしに入っとる。誰が言うても入っとる。

あとの二つとして、よく名前の出てくるのは、例えばどこですか?

よく聞くのは松原八幡のけんか祭。それから宗佐の厄神さん。その二つはよく聞く。ただ、宗佐は違うで、という話もあるし。

宗佐ってどこですか?

名前はよう聞くんやけども・・・・知らん。

ぼくは荒川の小芋祭がそのひとつやというのを神戸新聞で見ました。ぼくの連れは三木の祭が入ってると言うてますし・・・・。

なんやったら、もっと詳しい人に聞いてみたろか?(・・・・と言いながら、さっそく別の神社の神主さんにお電話を・・・・。)

どうですか?

ひとつは松原神社やろうと。で、北条の節句はやっぱり入っとる。で、もうひとつは、佐保神社か高砂神社のどちらかやろうと。このあたりでは佐保神社やいうとるし、南の方へ行けば高砂神社やというとる。 宗佐の厄神さんは、やっぱり違うと言うてる。祭の形式になってないらしい。あれは人が大勢、集まってくるだけで、いわゆる礼歳の形になってないという話や。

けど、笹屋さん(別のページのインタビュー参照)は、その宗佐の厄神さんと鍛冶屋の金比羅さんが入ってると言うてましたよ。

ああ、そう。

やっぱり誰に聞いてもバラバラですね。まあ、北条の節句祭が入っていることには異議を唱える人がないようですけど。

そやな。

けど「新御三家」みたいに「新・播州三大祭」というのができたら絶対ハズされますね。

・・・・

宮入では東高室に注目
どないこない言うても最近は、祭に勢いがなくなってきまして、宮入りといえども屋台を落としてばっかりなんですけども、そんな中で唯一、東高室だけは見事に息が合ってますね。

あれは練習をしてるらしい。すごい練習を。

けど、そんなん誰も見た人はいませんで。屋台をかく(=担ぐ)練習なんて、こっそりできませんやろ?

かく位置もちゃんと決められてるみたいで、常に入れ替わってるね。

ローテーションを組んでると?

いわゆるそんなもんやろね。やっぱり、その交替の練習もせなあかんやろし。

だとすれば、どこでどのように練習してるのかが、やっぱりナゾですね。

もう絶対に落とさないというのが伝統やから、そういう精神的なものもあるやろうし。

地下核実験場みたいなもんでもあるんでしょうか?

御輿の練習は一か月ほど前からしてるというのは聞いたことあるけどな。屋台もしてるんやろうな。それは東高室へ行って、様子を聞いてこないかんわ。

取材を申し込んだんですけど、なぜか電話を切られてしまったんです。残念ながら・・・・。

あ、そう。

だから、宮司さんなら何か御存知ないかと思いまして。

どんな人がいて、どうしてるか、いうのんは知らんわ。

気合いが入っとることだけは間違いないでしょうね?今年のカレンダーに屋台が半分しか写ってないっていうて苦情を言うてきはったんでしょ?

うん。まあ、それはええことや。そのくらい力が入っとるいうことはええことなんや。

やっぱり、この秘密は解明して他の町も見習うべきですね。

・・・・
東高室


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北条節句祭でよく耳にする用語集

ここまでのところ、しっかり読んでいただくと、地元のもんでもちゃんと知らん祭についての基礎知識が身についたと思います。 一部、あやしげな知識も混ざってますが、ネットの情報なんてこんなもんですから、鵜呑みにせず、他の文献等もしっかり参考にしながら取捨選択してください。 はい、これで、初級編は卒業していただいていいでしょう。
 ここから先は、祭見物できっとよく耳にする用語集です。知らなくっても困りませんけど、知っておくとちょっとオモロイですよ。
青年団
いわずと知れた祭の実行部隊。の、はずだが、近年はどこの町の青年も弱体化しておとなしい。 若年齢層の人数減少に伴って青年団のやりくりも厳しく、まだ未成年なのに青年団長をさせられるというケースもある。 だいたい中学校を卒業するあたりから見習いとなるが、一年めの団員を特に「日の出」と呼ぶ。 祭のためにある組織なので、祭のないときには何も活動していないが、地区によっては消防団と青年団が同一で、年中なにがしかの役割が与えられている場合もある。
 「青年団の弱体化=祭の衰退」であるから、たいへんと思うけど、若い人らにはほんとうにがんばってほしい。
乗り子(のりこ)
屋台に乗って太鼓をたたく子どものこと。 北条節句祭では、町によって多少の差はあるが、小学校2~3年から中学校2~3年くらいまでの子どもが乗り子になる。 浜手の祭では二十歳前後の青年が太鼓をたたくことも多いが、そこは祭ごとの特徴があらわれるところである。
 氏子の人数が多い祭では、一生に1回だけしか屋台に乗れないところもあると聞くが、北条ではしあわせなことに毎年乗れる。 わたしが子どもこころは、屋台蔵で遊びながら太鼓の練習して、祭になったら屋台に乗るのが最高の楽しみだったが、いまの時代は塾で勉強するほうが優先で、祭に出たがらない子も多い。 あー、寂しすぎる。
氏子(うじこ)
ある神さまによって守られている土地に住む人のこと。塩昆布のメーカーではありません。(それはフジッコよね。)
 住吉神社の場合、北条周辺の住民がそれにあたります。氏子は、ふだん神さまに守っていただいたお礼をするために祭に参加して神さまに感謝の気持ちを表します。
だから、北条節句祭の日に着物で屋台を担いでいるのは氏子、ということになるわけですが、近年の人手不足により、氏子でない者──氏子の親戚、氏子の会社の同僚、元氏子、氏子の連れ、氏子の連れの連れ、そのまた連れ、など──も、多く参加してます。 しかし実はこのように、氏子を拡大解釈することが節句祭を活性化するカギだともいえます。たとえば曽根天満宮の「連中(れんじゅう)」組織のように、ですね。
 みんなが仲良く暮らすことが祭の精神。決して排他的であってはなりません。よその神さまの氏子だって参加していいんです。社交的な住吉神社の神さまは、どこの神さまともつきあいがいいから、かえってお喜びになるはずです。 「氏子の知り合いはみんな氏子。世界に広げよう氏子の輪!」なんですね。
大鳴らし
祭本番の前日に行うリハーサルのようなもの。各町の屋台が小一時間ほど町内をウォーミングアップ的に軽く練る。 最近はこれを取り止める町もでてきたが、大鳴らしをやった町とやらなかった町とでは、本番の勢いに大きな差が出る。 屋台の一部を新調したような場合には、これがお披露目の場所となる。
祭の運営資金として、各町に集まる寄付のこと。ご祝儀。使い途は町によってまちまちだが、まじめに積み立てて屋台の修繕に充てるところと、パーッと遊んで使ってしまうところ(=財政に余裕のあるところ)に大別される。
 花の贈り方は至って簡単で、半紙をふたつに折ったものに水引を通し、「御花」「○○青年団御中」と書く。各町には必ず「花方」と呼ばれる係がいるので、その人に渡せばよい。そうすると祭の翌日、青年が集金に来てくれる。 (これは為替システムの原型ともいうべき、なかなか合理的な集金方法である。が、近頃は財政難のため、花を受け取らなくても軒並み集金してまわる青年団もある。) 直接現金を渡してもよい(これを現金花と呼ぶ)が、祭の当日は着物のため、落とし物をしやすいし、宮入りの邪魔になったりするので、なるべく控えた方がよい。(ないよりはよい。)
 花のうち、町内から集めるものを「内花」と呼んで「外花」と区別している。内花は外花の何倍も額が大きいのが特徴で、これが各町で屋台を維持管理するための原資となる。 「金を集める」というといやらしいが「花を集める」というと響きがお上品でよろしい。と、いうわけで、お花よろしく。
伊達花(だてばな)
送り主に芸能人やら政治家の名前を無断で使い、ウソの花をいっぱいこしらえて屋台に飾る。 「花」がいっぱい集まったように見せかけて縁起をかつぐための飾りである。文字どおり、伊達(だて)の花だ。
 屋台の前後にしばりつけられた笹に、大量の半紙がひらひらとくくりつけられているアレである。 見かけは「花」だが、これはあとで現金に交換できない。いわば為替証書偽造に当たる犯罪行為ともいえるが、これがなかなかいい感じなのである。 あの「ひらひら」がシブい。安くて経費がかからない(代筆の手間はかかる)わりに、雰囲気バツグンの装飾品といえる。曽根の屋台を見て「なんか足らんな~」と思っていたら、伊達花がなかったのだった。
帳破り(ちょうやぶり)
直会(なおらい)のこと。いまでいう「打ち上げ」。つまり、神事が終わったあとの酒宴。
 節句祭のあとの打ち上げは、どこの町でもだいたいこう呼ばれている。 「祭が終わって、それに使った帳面を破る」という意味で「帳破り」。(「腸が破れるほど飲み食いする」という意味で「腸破り」だとする説も聞いたことがあるが、たぶんそれはまちがい。) うちの婆ちゃんは「夜帳破り」と呼んだりしていた。広辞苑には出ていない言葉なので方言だと思うが、姫路でも使うとの証言もあり、どこらへんまで通用するかは不明。
 そういえば、わたしが子どものころには「買い物帳」(かいもんちょう)というがあって、その帳面を持っていくと、どこの店でもお金を払わずに祭の仕度品を調達することができた。 つまり、未払債務の一覧ノートであるが、これにたまった支払いを、祭の翌日に青年が一斉に店をまわって済ませてしまうわけである。 花を集める班と支払いにまわる班が交互に出たり入ったりしながら買掛を精算して現金出納帳を作成する。 これが祭の次の日の一大ミッションで、これを大車輪で終わらせて貸借が合えば、めでたく宴会突入となる。
 いまは買い物帳のような習慣はほぼなくなって、はじめから現金精算。お花をいただきに「○○青年団です」と名乗っても、バイトの店員さんに怪訝そうな顔をされる、味気ない時代になったもんである。
 そんな味気なさに負けず、帳破りのあとは、福原あたりのソープにくりだして燃え尽きるのが、伝統的にも正しい「事後処理」の仕方であると思われる。ああろっきゃろっきゃ。
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まつりの終わり/高見雅博

画:高見雅博


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