MAP採用 > おつぼねさまってどんなん?──偉大すぎる勤続10年

ただの勤続10年ではない。10年間、無遅刻無欠勤という偉大すぎる金字塔。 小さな組織にとって、この安定感ほどありがたいものない。松美さんの支えがなければ未来の繁栄はないでしょう。 やさしすぎる「おつぼねさま」に感謝、感謝、大感謝。 祝・勤続10年

おつぼねさまってどんなん?──偉大すぎる勤続10年

おつぼねさま──漢字で書くと「お局様」──
って
知ってますか?
えっ?
やたら先輩ヅラしてエラそうな古ダヌキのことじゃないのって?
Oh my God!! w(゚o゚)w!
なんてことを!
‥‥まあたしかに、
世間ではそうなのかもしれませんけど、
ウチではちがいます。
会社を支えてくれる最大の功労者であり、
人財育成のお手本となるような、
面倒見のよいベテランの女性社員を指す敬称なのです。
‥‥なんていうのも真っ赤な冗談として、
さいわい当社の場合は、
勤続年数の長い女性社員がおつぼねさまするというような
恐ろしい現象は発生しておりません(;^ω^A
これから当社に入社をご希望されるみなさんも、
ご安心いただいてよろしいかと。
で、
このたび、
当社の古ダヌ‥‥いや、
熟練プログラマの柴田松美さんが、
めでたく勤続10年を迎えられました。
しかも彼女の勤続10年は、
ただの10年ではありません。
10年間無遅刻無欠勤
という
偉大すぎる金字塔なのです。

10年をふりかえって

by 柴田松美 (2015,08)

勤続10年転職3つめのエムトーンで勤続10年を迎えました。その前に勤めた2つの会社は、どちらも4年弱で辞めました。2社めはほぼリストラのような辞め方でした。
 そのとき考えたのは、ずっとできる仕事、ちゃんとした仕事を持とうということでした。「腰掛けOLではダメだ!」──そう思って就職した会社で10年を迎えられました。ありきたりな言葉ですが、ほんとうにあっという間で、濃い10年でした。続けてやってきてよかったと心から思えます。
 10年でもっとも印象に残っている出来事は、やはり、社長が倒れたことです。先輩社員が辞めて、社員がわたしひとりになったときでした。まだまだ仕事も覚えていないし、自信もないのに社長不在という‥‥。社長が復帰できるかどうかもわからず不安で、会社における自分の立ち位置の重さにびっくりしました。だからこそ、そこに自分の存在価値を見いだせたと思います。
 仕事に責任を取る楽しさや、直接お客さまと話せる楽しさ。失敗すれば逆に、お客さまから直接お叱りを受ける。叱られたときの凹みも大きいけれど、ほめられたときの達成感も大きく、年々仕事が楽しくなってきています。ただ、少ない人数でできる仕事には限界があり、人手が必要だと感じたときにはじめた新卒採用。それが10年で2番めに大きなできごとです。
 長いこと社会人をやっていると、自分が新卒で仕事をしていたときのことはすっかり忘れてしまいます。人を育てることはこんなにも難しいことなのか、組織をつくるってどういうことだろう‥‥と、悩むことばかりで、自分がふがいなくて辛かったです。それでもあきらめずに新卒採用を続けてきました。そうすると、ちゃんと後輩ができて、会社が会社っぽくなってきて、自分がそこにどれぐらい貢献できているかはわかりませんが、やってて良かったと思える結果が出てきました。
 次の10年もいっぱい悩みながら、楽しみながら、あっという間と思える濃い時間を積み重ねていきます。

バツグンの安定感が会社を救う

少人数でまわっている組織にとって、
健康で明るい社員が休まず会社に来てくれる安定感ほどありがたいものはありませんね。
とりあえず、
定刻どおり元気に出勤してくれるだけで助かるもんです。
勤続5年

勤続5年はこんな感じ

仕事に穴をあけない。
それがどんだけ大切なことか。
プロとしての前提条件・その1
じゃないでしょうか。
まして、
電話にも出ないズボラな社長の秘書的ポジションですから、
すべての顧客対応を一手に引き受け、
外まわりのサポートから自社の総務経理まで、
オールラウンドにこなしてもらわないといけないわけですから、
風邪ひいただの貧血だの彼氏の家に泊まってましただの
二日酔いだの心が折れただの法事だの、
そんなことでいちいち休まれた日にゃ仕事になりません。
その点、
この方は健康が服着て歩いているような人でして、
当社に来てからだけじゃありません。
小学校、中学校、高校‥‥と、
ずーっと皆勤賞
大病を患ったこともなければ入院もしたこともない。
救急車に乗ったこともない‥‥
という、
いまどき珍しいというかなんというか、
じょうぶすぎるほど恵まれた人。
わたしが突然意識を失って倒れ、
左脳切開手術を受ける事態になったのは、
松美さんが入社してわずか1年半の出来事でしたが、
ここでもやはり彼女の安定感が遺憾なく発揮されまして、
ひとりで会社をまわす八面六臂の大活躍。
おかげさまで、
取引先各社に迷惑をかけることなく、
‥‥というか、
わたしの不在に気づいてもらえることすらなく
無事に平和に心穏やかにやりすごせたのでした。
そのときから
天下無敵のわたしといえども松美さんだけには頭が上がらず
‥‥っていうのは冗談ですが、
心の底からリスペクトして感謝して尻に敷かれているしだいです。

世話焼き隊のルーツ──フォロワーシップの鑑

甲子園

2015年7月21日/ジャイアンツとの首位決戦は──勝ち!


わが社のおつぼねさまは、
酔って野球の話をはじめると止まりません。
マジにヤバいですから、
気をつけてください。
彼女自身が野球をやってたわけじゃないんですけど、
高校時代に野球部のマネージャーだったんです。
盆も正月も関係なしに
年がら年じゅう野球ばっかりやってる野郎どもの世話を焼き、
ユニフォームも洗うし握り飯も作る。
彼女の介護力は、
そのころにバキバキに鍛えられたものと思われますが、
面倒見がよすぎて部員たちから「おかん」と呼ばれていた。
いまでも夏になると
毎晩「熱闘甲子園」で爆泣きしている。
こんなんが
彼女のキャラクターを象徴してます。
当社の仕事のコンセプトの中に、
「世話焼き」という言葉が入ってますが、
これはこの松美さんのパーソナリティから取りました。
フォロワーシップ
っていうんでしょうか、
この人の世話焼き力(せわやきりょく)には
どれだけ支えられて助けられてきたかわかりません。
リーダーシップのないリーダーでも、
フォロワーシップ豊かなフォロワーに恵まれたら、
それなりにリーダーが務まるという、
わたしはそれの好例でしょうね。
経営笑顔で磨く中小企業世話焼き隊
──は、
彼女に由来するコンセプト‥‥
というよりも、
松美さんの存在そのものがあらわれているように思います。
当然、
お客さまからの信頼も絶大ですし。
そんな彼女に敬意を表して、
年に1回は甲子園でタイガース戦を観て、
六甲おろしを熱唱して帰ってくる
っていうのが会社の恒例行事になってるんですね。
これから入ってくる後輩諸君は、
松美さんの世話焼き力を問答無用で見習ってほしいです。

おつぼねさまにもあった新人時代

いまはわたしの頼れる右腕であり、
開発業務まで任せられる有能なパートナーの松美さんですが、
はじめっからおつぼねさまだったわけではありません。
2005年7月、
プログラマー希望で面接にやってきたこの人は、
ハローワーク経由で採用コストはゼロ円。
リストラされてしかたなく職探しって感じだったし、
とてもじゃないけどプログラミングなんて任せられる能力はありませんでした。
経験もない。
そんな女の使い道は‥‥
せいぜい使いっ走り程度。
っていうのがわたしの判断だったんですが、
当時は、
ちょうど開発したばっかりの飲食店向けオーダーエントリーシステムが
けっこうな数の店舗で導入されはじめたころで、
とにかく人手がほしかった。
事務やら電話対応なんかよりも、
とにかく現場直行が肝心。
1分で飛んで出られるフットワークの軽さがほしい。
使いっ走りこそ真のニーズ。
──そんな状況に、
体育会系で鍛えたパシリのセンスがばっちりだったんですね。
なんせグラウンドで走りまわってただけの青春ですから、
勉強なんてぜんぜんできませんけど、
汗をかくことを苦にしませんから。
これ肝心。
ミス、ヘマ、ドジ、ポカ‥‥の類は多い人でしたので、
入社1年めはめちゃめちゃ叱られてます。
わたしもいまより10歳も若かったわけでして、
キレ味も10倍は鋭いわけですから、
元気いっぱい全力で怒鳴っとったわけでして。
しかしそこもさすが野球部。
大声でぼろっかすに怒鳴られることにも慣れている。
なんぼわたしが短気でも、
蹴りを入れる
なんてことはないわけで。
入社当時

入社当時は20代だったおつぼねさま

とにかくどんだけ罵声を浴びせられても、
めげず泣かずスネずむくれず、
忍の一字で休まず遅れず会社に来ているうちに、
わたしがゴテッと倒れる日がきた。
倒れて世話になって借りができてしまった。
(`ε´)
石の上にも1年半‥‥
っていうことわざは
こうして生まれたんですなぁ。

まっちゃんのお仕事AtoZ

※むかしむかし2012年以前の古いコンテンツです


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